The smell of sky

Photographer。知らない土地と、スタンダードが好き。アート、自然、田舎は心がヒリヒリして落ち着く。最近は400年に1度の大地震を経験して新たな悟りを開く。煩悩がある人間はこんなことがないと気づかない。

純粋記録

 「写真は記録である」

 あたりまえのようで案外そういう風に純粋には使われなくなって久しい記録写真を全うに受け止めてくれている小柳家。もう4年か5年くらい撮っているか。

 私の家族写真純粋記録主義を信じて福岡に転勤後もわざわざ1年に一度撮影にきてくれる。凝ったライティングも演出もないベーシックな撮影。
 今年は旦那が若干太っていたが、「太ったね。」と冗談風に言葉を投げかけ撮影に入る。

 テストを見て本人は画面を見ながら苦笑いだが、それよりも奥さんがこの太って写る旦那をどうにかなもんかと自分の事より気にしていた。
 私は笑いながらそれでも広告と違ってなるべく痩せて見えるように撮ろうとはしない。ひどい話だが、それをすると記録にならないから。

 現在の技術なら外見を美しく見せる技はライティングなりアングルなりにあるし、なんならデジタルでどうとでもなるが、それを取り入れすぎた昨今ではどんなに熱を入れて撮っても、どこか嘘めいたシラけた写真に見えることが多いものだと私は思う。

 昔のお侍さんや軍人さんのポートレイトがかっこいいのは御自身がかっこいいのであって写真はストレートに撮っているだけだ。そうでない人をお侍のように格好良く撮ろうとする努力は韓国でチマチョゴリを着て撮影する日本人なみに本当は悲しい。

 話は飛躍したが、特に記録写真となれば自身をせっかく記録するのだから少々品性のある格好くらいはしてあとは太っていようが二日酔いで来ようがそのまんま撮る。というのが私なりの純粋記録主義なのだ。

むしろ二日酔いで来て撮影すればその頃の性格までもがそこに記録されるわけで面白いじゃないか。それにカメラという誰もが苦手な記録媒体を前に自分をありのままに出せるというのは勇気があって素直な人という証拠。

 もっとも今の時代にこんな論法ではかなり酔狂な人しか付き合ってくれなさそうだけど。それでもいつか自分が老いていったらそんな肝の据わった酔狂な写真館をできないかなぁと密かに思ってもいる。

 いや、それよりもっとも小柳の旦那はそんなに太ってもいないし、別に二日酔いで来てもいないので。つい話のタネになってしまっただけ。
 素直に成長する拓真くんを真ん中に温かい幸せな家族ですから。

 そこんとこ誤解なく。

91025