宇宙での対話
MOKU出版という会社が東京にある。
現代には似つかわしくない哲学的なコンテンツを作る出版社で、誌面に一切
広告なしという無骨な会社だ。
そのMOKU出版からお仕事をいただくことがある。
私にしてみればとてもありがたいお仕事で、まるで殿様の前で御前試合をする
武士のような気持ちで挑ませていただいているのだけど同時にとても手強い
相手(仕事)でもある。
まず、担当の方からいただく取材に対するテーマが深い。
いただいたメールの中身はここではお見せできないが、壮大で奥が深いテーマは
まるで宇宙に出かけるような気分にさせてくれる内容だ。
自分が撮影する被写体はといえば要は人物なのだけど、このテーマを租借して
かからなければ人物の表層しか捉えられず、しかも逆に取材相手に見透かされて
一刀両断されてしまうだろうとさえ思わされる。
つまり、その取材相手がまた手強いわけだ。
壮大な宇宙について、なんらかの答えを持っておられる方に取材するのだから
当然そういうことになる。
手強い。だれもかれも手強い。
そして、最高に楽しい。
武者震いを感じながら対峙して、挑んでみれば勝っても負けても相当に自分の
技を磨ける。真剣に挑むからこそ本当の腕試しができる。
そんな今回のお相手は石牟礼道子さん。
一生を水俣の理解者として生きた作家。
そして、一方で情愛に満ちあふれた素敵なおばあさんだった。
また話を聞きに行こう。
プラネタリウムみたいに壮大な宇宙を見せてくれるから。
ひたすら目だけを見てシャッターを切った。
目の奥は本当に宇宙のようだ。
Kodak PKR/Nikon F2
これは水俣の仕切り網が撤去された1997年、作品を撮りに行った中の1枚。
13年も前だが、石牟礼さんはもう50年以上水俣とつきあっているのだ。