The smell of sky

Photographer。知らない土地と、スタンダードが好き。アート、自然、田舎は心がヒリヒリして落ち着く。最近は400年に1度の大地震を経験して新たな悟りを開く。煩悩がある人間はこんなことがないと気づかない。

G310GSの旅「水源、ヒゴタイと赤川温泉」

暑いので仕事を早く上がって、涼しい阿蘇方面へG310GSで向かった。

どこ、という目的もなく、行きながら考える。
バイクを楽しむというよりは、半日でも「旅」をしたい。

大型バイクから排気量を落として、明らかに乗り方に変化が出ていた。今まではパワーや加速感を楽しんでいたために景色などをつい見逃しがちだったが、GSになって車体も軽く、悪路にも気軽に入れるようになったために、景色も、それまで通り過ぎていた小道にも俄然興味が湧くようになった。いや、そうしたいと思ってGSにしたのだけど、想像以上にこれらを楽しめるようになっていた。

そう言えば、産山村ヒゴタイがそろそろ咲く季節。実はまともに行ったこともないし産山には良い水源も多いから、ちょっと行ってみよう。

夏休みの阿蘇とはいえ、平日の昼間は観光客も少なく快適。あっという間に産山村へ。
まずは馴染みの池山水源にちょっと寄った後、行ったことのない山吹水源を思い出す。池山水源までは交通の便もいいが、山吹水源、ヒゴタイ公園周辺などは軽トラ1台分の幅しかない道も多く、時折、急に砂利道に変わったりする。GSにはもってこいだ。

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山吹水源。奥まっていて人も少なく良いところ。

初めて来た山吹水源は手つかずの自然に近く、素晴らしいところだった。
思わず野宿でもしたい気分になったけど、もちろん道具も持ってきていないし国立公園内だからさすがに気が引ける。冷たくて美味しい水を飲んで、次の場所、ヒゴタイ公園へ。

遊歩道かと勘違いするほど道が狭い。
誰もいないだだっ広い草原、目前の久住、積乱雲、そしてヒゴタイという景色はかなり贅沢。興味のある人がいたら是非、平日に行ってほしい。

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最高に贅沢な空間。今度ゆっくり写真を撮りにいきたい。

まるでトスカーナがロケ地の癒やされ系映画の中にいるような気分で、心がのんびりした。

のんびりしたところで、またある場所を思い出す。

秘湯、赤川温泉

行ったことはないけど、どこかの情報で見て記憶に残っていた。
忘れたけど、なんとか日本100選にも入っていた。そして、ここから近かった。

良い機会。

GSに跨がり、トコトコと行ってみた。
心がのんびりして、まったく飛ばす気になどならない。

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到着。

結論、

スゴイ。凄すぎる。赤川温泉

旅とか、自然とか、そんなものが好きな方には、どストライクだと思う。
では、そうではない人には。

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環境が整っていない訳ではない。不衛生でもない。むしろ古いのによく清潔に保たれている。ただ、来る人の目的次第というか。

ご夫婦で経営されているようで、とても気さくな奥様が対応してくださったのだけど、「立ち寄りで入ってもいいですか?」と、聞くと「はい。大丈夫ですよ。でも、ここは何しろ変わった方しか見えられないお風呂でしてねぇ。」のやり取りから始まった。


ここで、不安を覚える人と、面白いと思う人に別れるように思う。
秘湯がそうさせるのか、お客がそうさせてゆくのか。変わり者の湯。

温泉の質は、凄い!。
いや、とても良いのだけど、良い、を越えている。

夕方に到着して、何かと時間がなく僕は15分ほどしか入らなかったのだけど、自宅に帰ってからも硫黄の匂いが身体中からぷんぷん。個人的には気分がよかったので家では風呂に入らず就寝して翌朝、硫黄の匂いで目が覚めた。どんだけ濃いのだ。

因みにそこのご主人が「これを200ccほど飲んで帰れば身体にめちゃくちゃいいよ」と言ってくれたので、帰りに源泉を飲んでみたら、あまりの濃厚さに吹くところだった。なんというか、一般の硫黄の匂いのする温泉を数十倍ほど濃縮したような。200ccなど、赤川初心者にはとても飲めない。本当にこれはお腹を下すかも、と飲んだ瞬間に思い、持ち帰り用のペットボトルに入れていた山吹水源の水を一気飲みした。良い、のだけど、強い。パンチが凄い。

大好きです、赤川温泉


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身も心もボーーっと、いや、のんびりとして、帰路へ。

帰りもまったく飛ばす意欲など湧かず、夏の阿蘇の夕日を眺めながら帰った。

たった半日でも濃厚な旅は可能。
それを確信した日だった。

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