幸せの記録
プロの写真家であるわたしが常々訴えていることがある。
わたしの友人たちは既に耳にタコかもしれないが家族の記録写真の存在だ。
「家族」
大抵の人には身近すぎて気づきにくい大切な存在。
あってあたりまえでなくなったときにしかその存在の重さを量り知ることができない。
時間の流れが速くて最早流されて生きている人の数のほうが多い今こそ
写真の記録性を活かして撮っておくべきだと思うのだ。
「写るんです」というカメラの登場以降、写真の品格が下がり
写真がピンボケしていることにすら気づかない人々が増えて
いまでは携帯で撮ったからと安心して、結局メモリーがたまったら消してしまう。
ストレートな言い方でいうと記録に残さない写真は写真ではないのです。
本来は写真館できちんと撮るのが望ましいけど
お正月に家の前で家族並んでちゃんとしたカメラでパチリと撮るだけでもいい。
数年経てばその写真は宝物になるのです。
わたしは広告写真を生業にしていて普段は残さない写真ばかり撮っている。
だからこそ感じるのですね。
これは去年の友人家族。
毎年、撮ってほしいと今年はわざわざ福岡から来てくれた
"時が貴重"であることを知る友人です。
同じアメリカ製のポートレイト用バックで一生を撮ってあげようと思う。
たくま君が両親の背を追い越すのを、見届けよう。
ほら、幸せそうでしょ。
写真は幸せを記録できるのです。